上野寛永寺

上野寛永寺の根本中堂は、小江戸仙波の喜多院から明治12年に移設されたものだ。
天海僧正は、家康公の時代には喜多院に居た。高齢になった天海僧正を川越から江戸城まで登城させるのは忍びないと家光公が寛永寺を作ったのだ。その時東叡山の称号は喜多院から寛永寺に移り、喜多院はそれまでの星野山に戻った。

上野戦争で焼けてしまった寛永寺に、明治12年、喜多院の持仏堂が解体され移築したのが根本中堂である。

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天気の良い日曜日、上野公園は
北風が冷たかったが、大道芸の若者が元気に演じていた
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西郷さんを見ようと南へ向かったら寒桜が咲いていた。春を感じるのか小鳥が花をついばんでいた。やはり立春、光の春は間違いなく来ている。
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