ケーブルテレビ放送終了

秩父ケーブルテレビの放送終了が日経新聞で報じられた。
秩父ケーブルテレビ放送終了
25年前、各地のケーブルテレビは、1行政区域に1局しか許可されない仕組みだった。
それも地元企業、団体に限るとされた。大企業が過半を出資することは認められなかった。

当時、ケーブルテレビはアメリカではかなり前から普及していたが、日本では東京タワーからの電波が強く。
ケーブルテレビが普及している地域は難視聴対策に限定されていた。
都市型ケーブルテレビとして埼玉県では、飯能市が先行していたが、時期が早すぎて苦戦をしていた。

しかし、高度情報化社会の到来が間近に迫り、多チャンネル化と双方向化も具体的に語られていた。
地域のコミュニティチャンネルができれば地域の情報もより細かに配信できる。
まちづくりの重要なツールとしてケーブルテレビが注目を集めていた。

その先駆けとも言えるのが秩父。
その後、入間、川越、熊谷、川口、浦和 ---
各地の青年会議所が中心となり、市や商工会議所に出資をお願いし、県内の多くの市にケーブルテレビの会社が作られた。
私も、90年に郵政省の電波管理担当部局を訪れ、代表者として認可申請書を受理してもらった。その郵政省は今では総務省になっている。

ケーブルテレビは大変な装置産業である。
各住戸までケーブルを張らなければならない。
ケーブルの容量を増やす
多チャンネル化、4kテレビ対応の設備増強---
一つの工事が終わっても次から次、大変な出資である。その上、地元でない大企業の参入も可能になった。
その結果、川越を始め多くのケーブルテレビが吸収合併され、今やJ:C0Mがほとんどである。

設立当初から、地元資本を中心として続いているのは入間ケーブルテレビが唯一と言っても良い。
15年前、ケーブルテレビ事業が単年度黒字になるのには、「総世帯数の10%以上の加入が必要」と言われていた。
秩父の世帯数が2万7千。2300から1500に減少しては赤字がかさんでしまう。

そんな事情を知っている者として、秩父ケーブルテレビの終了は残念、寂しい、としか言いようがない。
人口が減少している中で、ナイトバザールの宮側町を始め秩父の仲間は元気な情報発信を続けているのに、情報手段の一つが失われてしまう。
過疎のマチだからこそ、有線放送=ケーブルテレビが残ってくれるのが住民の安心のよりどころになっていく、と思っていたのだけれど、
存続するのには行政のバックカップなど経済的な基盤がまだまだ不完全なのだろう。